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ファミスタ名かっちゃん。ドラフト6位で入団した掛布は、主力の代理出場でスタメン奪取、掛布がサードで固定され、同期1位の佐野仙好内野手を外野へ追いやってしまいました。それからご存知の通り栄光をつかみました。その栄光に辿り着く迄の努力は
阪神タイガース
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今なお語り草になっており掛布監督待望論の根強い人気を残しています。

 その掛布は優勝した85年に3割40本を残しましたが、実は…斜陽化が始まっていたのでした。

 85年に現場復帰した吉田監督は「あれ程練習していた掛布が…」と練習に対する姿勢に危惧を抱いていたのです。

 チームリーダーとしての自覚も足りなかったようでバースが監督にこれを意見しており、監督もそう思っていたのでした。

 確かに4番打者はリーダーシップが求められると私も思います。外様の小久保が巨人であれだけ慕われていたのは、野球に対する取り組み方のためだと言われます。また、岩村があれだけの成績を残しながら、リーダーと思われていなかったのは成績以外の部分がまだ足りないとチームもファンも思っていたからでしょう。

 このままでは掛布がダメになると、吉田監督は優勝した85年シーズン終了後に故障を防ぐためにもランニングをして足腰を鍛えるよう助言しましたが、キャンプでは一番後ろで気のない走りをしていたとか。その後も監督は掛布に一流選手の心構えを諭しましたが、変化は見られなかったようです。

 ボクシングでは、チャンピオンを獲るよりも「防衛する方が難しい」と言いますが、当時の阪神はこれにどっぷり浸かってしまう球団だったんですね。掛布も真弓も岡田も85年をピークに成績が上がる事はありませんでした。

 そして、掛布は87年シーズン開始前に名神高速道路で酒気帯び運転で捕まってしまいます。その時警官に「俺は阪神の掛布だぞ」とすごんだと言います。この事件を契機にトレードの話が浮上しましたが、久万オーナーは「欠陥商品を出すなんて相手球団に失礼」という事でトレードの話はなくなりました。

 当時私は「償いはバットで」という見出しのスポーツ新聞を読んだ覚えがありますが、償う事なく88年に引退しました。

 監督が勧めたケガに勝てる体作りが出来なくなっていた掛布。

 しかし掛布は当時いくらミスタータイガースと言われたって、まだまだ30代前半の男。普通の会社員ならまだまだ課長、部長に教育される成長途中の年齢なのです。プライドが確立し誤った方向へ進んでしまったのも仕方なかったと思います。

 また、阪神は王座を防衛して王者であり続ける西武体質ではなく、強い巨人を倒す事が阪神の歴史でしたから、その中で育った掛布ですから
次の目標を探せなかったのも私は仕方ないと思います。世界王座を獲ったボクサーが目標を見失い引退してしまうのと似ていたと思います。

 掛布の解説は、理論的で面白いです。栄光と挫折を知った男が縦縞に袖を通す姿を見てみたいです。
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